こんにちは、なおじです。
佐久間朱莉選手の父・育成環境が、年間女王誕生の根っこだったことをご存じでしょうか。
3歳から練習場へ連れ出し、小学生時代はキャディまで務めた父・浩太郎さん。
母・美樹子さんの温かい見送り、兄・怜央さんとのゴルフ一家の絆。
今回は、佐久間朱莉の父・家族と、川越市から始まった育成の軌跡を整理してみました。

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🖊️この記事でわかること
- 父・浩太郎さんの人物像とキャリアへの関わり方
- 母・美樹子さん、兄・怜央さんとの4人家族の構成
- 3歳スタートから埼玉・川越市で積み上げた育成の軌跡
- 家族の支えが2025年年間女王誕生にどう影響したか
父・浩太郎はどんな人?

佐久間朱莉選手の父親の名前は、佐久間浩太郎(こうたろう)さんです。
日本大学の出身とされており、自身もゴルフ経験者として知られています。
年齢や具体的な職業については現時点で公表されておらず、テレビへの露出もほとんどありません。
試合会場には毎回足を運びながら、あくまで「裏方」として娘を支えるスタンスを貫いています。
3歳で練習場へ。最初の一手
浩太郎さんが朱莉選手を練習場へ初めて連れ出したのは、なんと3歳のときです。
自分がゴルフを楽しんでいた父親が、何気なく娘を連れて行ったこの一歩。
それが後の年間女王誕生の出発点になりました。
バスケ部の顧問を十数年務めたなおじの経験から言うと、親が「やってみて」と背中を押す瞬間が、子どもの人生を決定づけることはよくあります。
なおじが最初にバスケ部の子どもたちを練習場に連れて行ったとき、誰が一番夢中になるかなんてわからなかったですから。
スポーツの才能は「環境との偶然の出会い」から芽吹くもの、とあらためて思います。
12歳頃からは本格的に大会へ出場するようになり、実力を着実に積み上げていきました。
小学生時代はキャディとして並走

浩太郎さんは、朱莉選手の小学生時代の大会でキャディを務めていました。
バッグを担ぎ、一打一打を娘と共に歩いた日々。
技術的なアドバイス以上に、「父が隣にいる」という安心感が、コース上の朱莉選手を支えたはずです。
現在は専属のプロキャディに切り替わっていますが、浩太郎さんは今も毎試合会場に足を運び、車内での送り迎えと雑談を大切にしています。
選手としての成長に合わせてサポートの形を変えてきた、父親ならではの柔軟さを感じます。
「技術より笑顔」という父の哲学
プロテスト合格時、浩太郎さんはこう語りました。
「いつも笑顔で、愛されるプロになってほしい」
技術でも成績でもなく、人間性を第一に願った言葉です。
また、2025年4月の初優勝後には「タイミングが合えば、いつか勝てると思っていました」と静かに受け止めたといいます。
長年支え続けてきた父親だけが持てる、淡々とした確信の言葉でした。
技術指導はコーチに委ねて、父親としてできることに徹してきた結果なのかなと思います。
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母・美樹子と兄・怜央の家族構成

佐久間朱莉選手の家族は、父・浩太郎さん、母・美樹子(みきこ)さん、2歳年上の兄・怜央(れお)さんとの4人家族です。
実家は埼玉県川越市で、兄妹そろってゴルフに親しんだゴルフ一家。
それぞれの役割が自然に分かれていた点が、朱莉選手の安定したキャリアの土台になっています。
| 名前 | 続柄 | 特徴 |
|---|---|---|
| 佐久間浩太郎 | 父 | ゴルフ経験者。毎試合帯同。元キャディ |
| 佐久間美樹子 | 母 | 自宅からの精神的サポート |
| 佐久間怜央 | 兄(2歳上) | 妹の影響でゴルフを開始。立教大学ゴルフ部主将 |
母・美樹子さん「来られなくても見てる」
母・美樹子さんについては、年齢・職業ともに公表されていません。
毎試合会場へ駆けつけることはできないようですが、それでも朱莉選手にとって大きな存在です。
「来てくれたらうれしいし、来られなくても絶対に見てくれている」
これは朱莉選手が語った言葉です。
父が現場でのサポーター、母が自宅からの精神的な支え。
この自然な役割分担が、佐久間家のチームワークなんだと感じます。
兄が妹の影響でゴルフを始めた逆転劇

2歳年上の兄・怜央(れお)さん。
さてここで問題です。「きょうだいの片方がゴルフを始めたら、もう片方も始めた」。
さて、どちらが先でしょう?
……ふつうは「兄が先」ですよね。
ところが、朱莉選手が先にゴルフに夢中になり、それを見た怜央さんが後から始めたんです。
「妹の背中を見て兄がクラブを握った」という逆転の構図。
怜央さんが7歳でゴルフを始めたとき、妹は5歳。
なおじが中学校でバスケ部顧問をしていたとき、「弟の真似をして入部した姉」のケースが一度だけありましたが、それに近い話です。
珍しいですよね。
その後、怜央さんは立教大学ゴルフ部に進み、最終的には主将を務めました。
さらに2017年の日本女子オープンでは朱莉選手のキャディを担当。
妹のバッグを担いで歩く兄の姿は、多くのギャラリーの記憶に残っています。
川越市から始まった育成環境

佐久間朱莉選手の出身は埼玉県川越市です。
朱莉選手は「適度に都会で適度に田舎、そのバランスが絶妙な街」と語り、プロになった今も川越市に住み続けています。
地元への強い愛着が、精神的な安定につながっているのかもしれません。
中学3年生・日本女子オープンへの挑戦
出身中学は川越市立名細(なぐわし)中学校です。
そして中学3年生の2017年、「第50回日本女子オープンゴルフ選手権」へ出場。
日本女子ゴルフ最高峰の舞台に中学生で挑んだこと自体、すごいことです。
そしてこの大会が大きな転機になりました。
同組となった原英莉花選手のキャディが朱莉選手の潜在能力を見抜き、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーへのスカウトにつながったのです。
「たまたま同じ組になった」ことがプロへの道を開いた。
スポーツのキャリアって、才能だけじゃないんだなと、つくづく思います。
埼玉平成高校・アカデミーとの両立
出身高校は埼玉平成高等学校です。
高校入学前の2018年3月、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーの第1期生として入門します。
学業とアカデミーの指導を両立させながら、2019年には16歳で関東女子ゴルフ選手権を制覇。
さらに高校卒業後のプロテストでは、見事トップ合格を果たしました。
元教師として振り返ると、「学業とスポーツの両立」は聞こえはいいですが、実際には相当きつい。
なおじが校長をしていたころ、部活で全国大会に出た子のスケジュール帳を見たことがあります。
休みがほぼなかった。
それを乗り越えてきた経験が、朱莉選手のコース上での落ち着きを作ったのかなと感じます。
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家族の支えが生んだ年間女王

2025年、佐久間朱莉選手はプロ5年目にして年間4勝・年間女王という圧倒的な結果を残しました。
また2026年の国内開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」でも前年女王Vを達成しています。
この強さの根っこに、積み重ねてきた家族の絆があります。
「毎試合会場に来てサポートしてくれるので、力になっています。調子が良い時も悪い時も見守ってくれて、一番近くで支えてくれています。ゴルフを始めた時から今まで、ずっと付いてくれているので感謝しかない」
(2023年父の日に朱莉選手が公開したメッセージ)
我が娘よ 父の背中を 見て育て
バスケ部顧問としての経験から言うと、**「親がどう関わるか」**が選手の精神的な土台を決定づけることはよくあります。
技術ではなく「笑顔」を願う。
それって、言葉では簡単ですが、試合に負けた日でも同じことを言い続けるのは、案外難しいんですよね。
浩太郎さんのスタンスは、親のサポートとして理想的な形のひとつではないでしょうか。
師匠・ジャンボ尾崎との別れを越えて

2025年12月23日、師匠の尾崎将司さんが78歳で逝去しました。
朱莉選手は大きなショックを受けながらも「これからもたっくさん勝って報告にいきます」と追悼の言葉を綴っています。
2025年のアワードで4冠に輝いた朱莉選手に、師匠は「メジャーは取ってないのか」と発破をかけていたといいます。
まだまだ上を求めていた師匠の言葉が、朱莉選手の次の目標になっているのかもしれません。
2026年も父が見守るツアー
2026年の国内開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」でも優勝を果たした朱莉選手。
今年も浩太郎さんは変わらず会場に足を運び、静かに見守っています。
3歳から続く父娘のゴルフの旅は、まだ続いている。
父親として、これほど誇らしいことはないでしょうね。
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よくある質問(Q&A)
Q1. 父・浩太郎さんの職業は何ですか?
現時点では公表されていません。
日本大学出身であることは複数のメディアで確認されていますが、年齢・職業については非公開のままです。
試合会場への帯同状況から、スケジュールに柔軟性がある働き方をされているとみられます。
ただし確定情報ではないため、断定は避けています。
Q2. 兄・怜央さんはプロゴルファーですか?
アマチュアゴルファーとして活動しています。
立教大学ゴルフ部で主将を務め、実力者として知られていますが、プロ転向の情報は現時点でありません。
一方で「妹の影響で兄がゴルフを始めた」という逆転の構図は、佐久間家らしい面白いエピソードです。
兄妹そろってゴルフを愛する家庭環境が、朱莉選手の土台を作っています。
Q3. 父・浩太郎さんは今もキャディをしていますか?
現在は専属のプロキャディが担当しています。
浩太郎さんがキャディを務めていたのは、主に小学生・中学生時代の大会まで。
さらに現在は毎試合会場に足を運び、送り迎えや車内での雑談でサポートを続けています。
選手の成長に合わせてサポートの形を変えてきた、父親ならではの柔軟な姿勢です。
Q4. 佐久間朱莉選手の育成環境はどのように整えられましたか?
3歳での練習場デビューから始まり、12歳頃から大会へ出場しました。
中学3年時の日本女子オープン出場が転機となり、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーの第1期生としてスカウトされます。
高校在学中はアカデミーとの両立を続け、高校卒業後のプロテストでトップ合格。
家庭・アカデミー・学校という3つの環境が重なって、今の実力が形成されました。
Q5. 家族が与えた最も大きな影響は何ですか?
なおじは「笑顔でプレーする」という精神的な姿勢の植え付けが最大ではないかと見ています。
「いつも笑顔で、愛されるプロになってほしい」という父の言葉が、朱莉選手のプレースタイルそのものを表しています。
どんな局面でも笑顔を忘れない。
それって「技術」じゃないですよね。
長年かけて育てられた「人間性」だと思います。
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筆者紹介|なおじ
なおじは元社会科教師として教育現場に35年間携わり、指導主事を5年、校長を11年務めました。
退職後もボランティアで子どもたちに学習を教えています。
バスケットボール部顧問としても十数年。地区大会・県大会の空気も知っています。
「親の関わり方が選手の土台を作る」を、現場で何度も目の当たりにしてきました。
この記事では「3歳から娘を支えた父の育成論」を、元バスケ部顧問の視点で読み解きました。
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